見どころ

 本列島では毎年約8,000件の発掘調査が行われています。しかしどのような発見があったのかが、ニュースなどを通して皆様のもとまで届くことはそう多くありません。
 そこで本特別展では、最新の発掘調査の成果を選りすぐって、驚きの大発見や注目の新発見を集め展示いたします。この機会にどうぞご覧ください。

ブラックていたん1.旧石器・縄文時代

[新潟県]六反田南遺跡(ろくたんだみなみいせき) 縄文土器

六反田南遺跡縄文土器

「上山田・天神山式土器(かみやまだ・てんじんやましきどき)」と呼ばれるこの土器は、土器の全面を躍動的に覆う流麗かつ細緻な文様が特徴です。縄文土器といえば燃え上がる炎のような造形の「火焔型土器(かえんがたどき)」が有名ですが、この「上山田・天神山式土器」は同じ縄文時代中期に、「火焔型土器」と近接した地域である糸魚川流域に流行します。
粘土のひもを貼り付けて作った曲隆帯文(きょくりゅうたいもん)や、竹の管を半分に割ったような道具を押しつけて平行線や爪形文(つめがたもん)を描く技法を駆使して作られていて、土器作りに込められた執念とも思える集中力が観る者を圧倒します。
会場では入口ゲートの内側に、縄文土器タワーともいえる立体展示を行い、ご来場の皆様をお迎えいたします。4,500年前の縄文人の美意識をじっくりとご鑑賞ください。

ていたん2.弥生時代

[神奈川県]河原口坊中遺跡(かわらぐちぼうじゅういせき) 板状鉄斧(いたじょうてっぷ)

河原口坊中遺跡

河原口坊中遺跡は弥生時代から近世にかけての複合遺跡ですが、特に弥生時代中期から後期(約2,100〜1,750年前)に大規模な集落遺跡が営まれました。また大きく蛇行して流れていた河川が埋没した場所からは、土器や石器のほかに、農具や漁労具などの木製品や板状鉄斧などの鉄製品が、非常に良好な状態で残されていました。
 この板状鉄斧は長さが28.5cmと非常に大きく、東日本では初めての出土例ですが、全国的に見ても最大級の大きさです。両端は丁寧に研がれており、道具として大事に使われていたことが見て取れます。何かの事情があって廃棄されたのか、それとも紛失した果てに埋没したものなのか…。弥生人が日々の生活に使っていた道具から、当時の生活に思いをはせてみるのもお勧めです。

ブラックていたん3.古墳時代

[広島県]甲立古墳(こうたちこふん) 家形埴輪(いえがたはにわ)

甲立古墳

 甲立古墳は全長77.5mの前方後円墳です。後円部の墳頂部には、石を敷き並べて作った区画に複数の家形埴輪が整然と並んでいました。もっとも残存状況のよかった2号家形埴輪は、切妻屋根(きりづまやね)と8本の柱で2間×2間の高床建物(たかゆかたてもの)を表しています。
 ではこれらの家形埴輪がなぜ古墳の上に並べられたのか、どうして家の形をしている必要があったのでしょうか。古墳に葬られた人がかつて住んでいた場所をあらわしているのか、それとも死後の魂が生活する場所をあらわしているのか、確かな答えはまだ分かっていません。これらの出土品や出土状況の研究を続けることで、古墳時代の人たちが何を考えていたのか、どのように個人を弔ったのかを知る手がかりが見つかることでしょう。

ていたん4.古代

[奈良県]中山瓦窯跡(なかやまがわらかまあと) 鬼瓦(おにがわら)

中山瓦窯跡

奈良の平城京は今から1,300年ほど前に造られた都ですが、その中心部である平城宮には天皇の住まいや官公庁などの建物が集まっており、これらの建物には多くの瓦が使われました。
 中山瓦窯跡良県は、京都府の境に広がる平城山(ならやま)丘陵に築かれた瓦窯群、史跡奈良山瓦窯跡の一つで、平城宮の建物に瓦を供給した窯として知られています。平成27年の調査では、新たに3基の窖窯(あながま・山の斜面をトンネル状にくり抜いて造った単室の窯)が見つかりました。窯跡からは多くの瓦が出土しましたが、特に目を引くのが鬼の全身像を描いた鬼瓦です。鬼瓦は屋根の棟端を風雨から守るための瓦ですが、恐ろしい顔で睨みをきかせるその姿からは、邪悪なものからも建物を護るという、強い決意をうかがうことができます。

ブラックていたん5.中近世

[京都府]伏見城跡(ふしみじょうあと) 金箔瓦(金箔軒平瓦・きんぱくのきひらがわら

伏見城跡

伏見城跡からは、豊臣秀吉ゆかりの金箔瓦が出土しました。伏見城は築城当初に大地震によって倒壊しており、別名「指月城」」(しげつじょう・しづきじょう)とも呼ばれる、この初期の伏見城は「謎の城」として知られていました。
 ところが平成27年4月に行われた発掘調査で、その指月城の中心近くと考えられる地点から、石垣や堀といった当時の城郭建築の遺構と、多くの金箔で装飾した瓦が見つかりました。
石垣や堀は短期間で埋め戻されていたことが判明し、このことは地震による倒壊を裏付ける根拠として考えられます。また金箔瓦は秀吉時代の特徴を示しており、まさにこの地に指月城があったことを示しています。
 NHK番組「ブラタモリ」#37「京都・伏見城」の回でも紹介された最新の資料が、九州での初公開となります。ぜひともこの機会にご確認ください。

ていたん6.地域展示

[福岡県]元岡古墳群(もとおかこふんぐん)G-6号墳出土 金象嵌庚寅銘大刀(きんぞうがんこういんめいたち)

元岡古墳群

直径18mほどの円墳(えんぷん)ないしは多角形墳(たかくけいふん)である元岡古墳群G-6号墳から、驚くべき大発見がありました。
 石室から出土した大刀(たち・古墳時代の鉄製の直刀)は、発見時は錆におおわれていましたが、金で象嵌(ぞうがん・刻み込んだ部分に金属をはめ込む技法)した19字の銘文が見つかったのです。古墳時代の刀に残された銘文としては全国で8例目の発見となりました。
 「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果(練)」という文字からは、この大刀が西暦570年の正月6日に作られたことが分かります。暦を日付まで正確に用いたことが分かる国内最古の資料です。
 また中国の暦法では、正月は建寅月(けんいんげつ・寅の月)となります。寅の年、寅の月、寅の日と3つの寅が重なる日に作られた剣のことを「三寅剣(さんいんけん)」として珍重する風習が古代の中国や朝鮮半島にあることから、この大刀もその影響下で作られたものかもしれません。